関西ジュニア内での頭角を現した重岡は、2007年頃から頭角を現し、2008年8月には「Hey! Say! 7」の関西版としてHey! Say! 7 WEST(後に「7 WEST」へ改称)が結成されます。神山智洋、藤井流星、小瀧望らとともに主力ユニットとして活動を本格化させました。
しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。結成当初、ユニットの絶対的な中心は中山優馬であり、重岡はサイドや後列に配置されることが多かったのです。さらにメンバーの脱退や再編が相次ぎ、グループの存続そのものが危ぶまれる時期も経験しました。
転機となったのは、中山優馬のソロ活動・別ユニット(NYC boysなど)への専任に伴い、重岡大毅が7 WESTのセンターへ抜擢されたことでした。当時を振り返るインタビューで、重岡は次のような胸中を明かしています。
「センターに立った時、怖くて仕方がなかった。優馬がいた場所だし、自分にその実力があるのか毎日自問自答していた。でも、逃げたら応援してくれるファンやメンバーに顔向けできないと思った」
当時の関西ジュニアは東京のJr.に比べてメディア露出の機会が極めて限られており、大阪松竹座での定期公演が生命線でした。重岡はマイクを持つ手の震えを気迫で抑え込み、ステージ中央で誰よりも汗を流して笑顔を振りまくことで、名実ともに関西Jr.のトップへと成長していったのです。