談山神社の見どころと歴史の真相|紅葉絶景と十三重塔の全貌

談山神社の見どころと歴史の真相|紅葉絶景と十三重塔の全貌

談山神社の見どころと歴史の真相|紅葉絶景と十三重塔の全貌にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

談山神社の歴史を語る上で欠かせないのが、645年の「乙巳の変(いっしのへん)」へと続く歴史的ドラマです。当時、権勢を誇っていた蘇我蝦夷・入鹿親子による専横を打破するため、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)は、法興寺の蹴鞠会(けまりえ)を契機に意気投合しました。

二人は多武峰の山中に登り、国家改新の極秘計画を練り上げたと伝えられています。この「談(かた)らい」の舞台となった山は「談い山(かたらいやま)」と呼ばれ、これが現在の社号「談山神社」の直接の由来となりました。

天智天皇8年(669年)、鎌足の没後に長男である定慧(じょうえ)和尚が唐から帰国し、父の遺骨を摂津国安威(現在の大阪府高槻市周辺)から多武峰へと改葬。十三重塔と妙楽寺(現在の談山神社本殿一帯)を建立したことが、当社の創始とされています。

中世から近世にかけては「多武峯妙楽寺」という強大な神仏習合の拠点として栄え、比叡山延暦寺や興福寺と並ぶ一大宗教勢力を形成しました。明治時代の神仏分離令によって神社へと改組されましたが、今なお境内の随所に仏教寺院と神道が融合した独自の空間美が色濃く残されています。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。