名門一族に対しては、ネット上で「長男が政治家にならなかったのは家督争いがあったからだ」「養子に出された信夫氏と晋三氏の間には確執があったのではないか」といった憶測が散見されます。しかし、これらの噂は関係者の証言や実際の記録から完全に否定されます。
生前、安倍洋子氏が親しいジャーナリストに語ったところによると、長男の寛信氏が民間企業を選んだのは争いではなく「自由闊達に自分の人生を歩ませたい」という両親の配慮でした。政治家の過酷さを誰よりも知る晋太郎氏自身が、子どもたち全員を政界に縛り付けることを望まなかったのです。
三兄弟の絆の深さを物語るエピソードは数多く残されています。晋三氏が第一次政権を退陣し、失意の底にあった時期、静かに寄り添い励まし続けたのは寛信氏と信夫氏でした。晋三氏もまた、信夫氏が参議院から衆議院へ鞍替え出馬した際には全力で応援演説に入り、「我が実の弟であり、安全保障の要」と絶大な信頼を寄せていました。
2022年7月の銃撃事件の際、信夫氏は体調が思わしくない中、悲痛な表情で兄の元へ駆けつけ、寛信氏は喪主の昭恵夫人を支えて気丈に一切の差配を取り仕切りました。血を分けた三兄弟の結束は、政治的駆け引きを遥かに超えた強固なものだったのです。