文句のつけようがない学歴、卓越した語学力、さらに14歳から芸能事務所(アミューズ)に所属して培った演技経験。帰国後のホラン千秋が目指したのは、テレビ局の花形である「アナウンサー」の道でした。しかし、そこで待っていたのは、人生最大の挫折となる民放キー局アナウンサー試験の「全落ち(全滅)」という冷酷な現実でした。
日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日など、東京の主要キー局をすべて受験したものの、結果は無残にも全滅。なぜ、あれほどスペックの高かった彼女が採用されなかったのでしょうか。当時の採用選考に携わった関係者の証言や業界分析から、決定的な「3つの要因」が浮き彫りになっています。
第1に、当時の民放キー局が求めていた「女子アナウンサー像」との構造的ミスマッチです。2010年前後の女子アナ採用市場では、「ミスキャンパス出身の清楚でおとなしい優等生」「番組の進行を無難にこなすアシスタント役」が重宝されていました。それに対し、アメリカ留学で自己主張と論理的議論を徹底的に叩き込まれ、芯の強さが全身から滲み出ていたホラン千秋の個性は、当時のテレビ局の保守的な採用基準からは「自己主張が強すぎて扱いづらい」と映ってしまったのです。
第2に、アナウンススクールの模範解答をあえて拒んだ本人のスタンスがありました。用意された型通りの回答を嫌い、自分の生身の言葉でぶつかった結果、面接官との波長が合わずに落選が続きました。
大学卒業後、アナウンサー試験に落ちた彼女を待っていたのは、芸能界の仕事が激減した暗黒の空白期間でした。プライドを打ち砕かれた彼女は、近所のスーパーのレジ打ちをはじめ、パン屋、寿司屋、アパレルショップなど、いくつものアルバイトを掛け持ちする日々を送ります。「テレビ局に入社した青学の同期たちが画面の向こうで華々しく活躍する姿を、スーパーのレジを打ちながら名札を隠すようにして見つめていた」という当時の回想は、彼女が味わった屈辱の深さを如実に物語っています。