事件当時、上方歌舞伎の名門・松嶋屋が断絶の危機に瀕したことは間違いありません。しかし、松嶋屋の家系図を辿ると、この惨劇から奇跡的に難を逃れた一筋の希望が存在していました。
十二代目仁左衛門の長男であった四代目片岡我童(後の十三代目片岡仁左衛門)は、事件当時は既に独立して別居所帯を持っていたため、千駄ヶ谷の凶行に巻き込まれることなく無事でした。父の非業の死という計り知れない打撃を受けながらも、十三代目仁左衛門は戦後の関西歌舞伎の衰退期を孤軍奮闘で支え続け、松嶋屋の屋台骨を守り抜いたのです。
その十三代目仁左衛門の三男として生まれたのが、昭和から平成・令和にかけて歌舞伎界のトップスターとして君臨する片岡孝夫こと十五代目片岡仁左衛門です。孝夫時代の端正な美貌と卓越した演技力で「孝夫ブーム」を巻き起こし、関西歌舞伎の復興を牽引。平成10年(1998年)に十五代目を襲名し、重要無形文化財保持者(人間国宝)として歌舞伎界を統率しています。
現在の歌舞伎座や各地の舞台で観客を魅了する十五代目仁左衛門、その兄である五代目片岡我當、二代目片岡秀太郎(故人)、そして次代を担う片岡愛之助や片岡孝太郎、片岡千之助らに至るまで、松嶋屋の芸脈は昭和の惨劇という断崖絶壁を越えてなお、燦然と受け継がれています。