映画表現や演技論の観点から本作を分析すると、二宮和也が選んだ「引き算の演技」がいかに先進的であったかが浮き彫りになります。
日本国内の商業エンターテインメントでは、観客に分かりやすく感情を伝えるための「過剰な熱演(エモーショナルな叫びや大げさな表情)」が重用される傾向があります。しかし、クリント・イーストウッドをはじめとする国際的な映画作家が求めるのは、人間の内面に渦巻く葛藤が沈黙や微細な視線の揺れから漏れ出るリアリズムです。二宮は、自身が置かれた極限状態を「大声で嘆く」のではなく、「ただ静かに家族の写真を見つめる」「理不尽な命令に無言で視線を落とす」といった所作で表現しました。
この演技構造は、心理学における「内的適応」のプロセスそのものです。過酷な現実から心を保つために感情をあえて抑制する兵士の心理を、計算ではなく直感的にカメラの前で体現したからこそ、文化や言語の壁を越えて世界中の観客の涙を誘ったといえます。