第一次頂上作戦によって警察の徹底的な取り締まりを受けた美能組は、美能幸三の服役中に決定的な転換期を迎えます。1969年(昭和44年)、美能は網走刑務所の獄中から「美能組の正式解散」を表明。1970年に刑期を終えて出所すると、ヤクザ界からの完全引退を宣言しました。
解散を決断した最大の理由は、激化する警察の取締り(頂上作戦)への対応だけでなく、親分・山村辰雄をはじめとする上層部の利権至上主義に対する徹底的な幻滅でした。自分の信じた組織が仲間を切り捨てるシステムに過ぎないと悟った美能は、組織の後継者を指名することなく、美能組の看板を自らの手で降ろしたのです。
引退後の美能幸三は、故郷である広島県呉市や竹原市などで木材業や土木関連の会社を経営し、実業家として完全に堅気の生活を送りました。メディアの度重なる出演依頼に対しても原則として沈黙を守り続け、2010年(平成22年)3月、84歳で逝去しました。
2026年現在の呉市および広島県内において、美能組という組織は過去の歴史上の存在であり、現存していません。かつて美能組が関わった共政会はその後も存続していますが、度重なる暴力団排除条例の厳格化や警察の取締りにより、勢力は大幅に縮小。美能組が駆け抜けた「流血の時代」は、完全に過去のものとなっています。
【プロの結論】組織社会学・人間関係の視点から見出すべき教訓
美能組の栄枯盛衰と美能幸三の軌跡は、単なる昭和の裏社会史にとどまらず、現代の組織論や人間心理における重要な警鐘を含んでいます。
上下関係を盾にした「忠誠心の搾取」、トップが保身のために現場へリスクを押し付ける「構造的腐敗」、そして虚飾の理念(仁義)で若者を縛る心理的コントロールの危うさ。美能幸三が命懸けで残した記録は、時代や業界を問わず、不健全な共同体や搾取構造からいかにして自立し、境界線を引くべきかという普遍的な人生の選択基準を示しています。