日本国内で1961年10月に東芝音楽工業(現・ユニバーサルミュージック)から発売されたシングルは、爆発的なヒットを記録。日活による同名映画(1962年、坂本九・吉永小百合出演)が製作されるなど社会現象となりましたが、真の奇跡はここから海を渡って始まります。
海外進出の最初の火種となったのは英国でした。1962年、イギリスのジャズ・トランペッターであるケニー・ボールがインストゥルメンタルとしてカバーし、全英チャート上位にランクイン。この際、英国のレコード会社社長ルイス・ベンジャミン氏の「英語圏の人間にとって『Ue o Muite Arukō』は発音しにくく覚えられない。誰もが知っている日本の言葉にすべきだ」という極めて商業的な判断により、タイトルが『SUKIYAKI』へと改題されました。
そして1963年、アメリカ・ワシントン州スポケーンのラジオ局「KREM」のDJリッチ・オズボーン氏が、ケニー・ボール盤の原曲である坂本九氏の日本語オリジナル盤をオンエアしたことで熱狂が勃発します。リスナーからのリクエストが殺到し、米大手キャピトル・レコードが緊急配給を決定。1963年6月、米ビルボード「Hot 100」で堂々の全米1位を獲得するに至りました。
英語圏で日本語詞のまま頂点に立った要因について、音楽ジャーナリズムおよびボーカル分析の観点から以下の3点が挙げられます。
- 坂本九独自のロカビリー唱法:エルヴィス・プレスリーに影響を受けた坂本九氏の「しゃくりあげ(ヒーカップ唱法)」とスタッカートの効いた明瞭な発音が、日本語をまるでパーカッション楽器のように響かせ、言葉の意味が通じない英語圏のリスナーにもダイレクトにリズム感を届けた。
- ペンタトニック(ヨナ抜き)の親和性:中村八大氏によるメロディラインは、日本の伝統歌謡の情緒を持ちながら、アメリカのブルースやカントリー音楽の基礎構造と共通する五音音階で編まれており、直感的な心地よさを生み出した。
- 口笛とストリングスの叙情美:哀愁漂う口笛のイントロと優美なストリングスアレンジが、世界中の誰もが共有できる「郷愁」「寂寥感」のイメージを喚起した。