占守島の戦いにおいて最大の激戦地となったのが、島の要衝である四嶺山(しれいさん)の攻防でした。この高地を奪われれば島全体がソ連軍の掌中に落ちるという極限状況下で出撃したのが、名高き「士魂部隊」こと戦車第11連隊です。「士」という文字が「十」と「一」の組み合わせから成ることに由来し、連隊長・池田末男陸軍大佐率いる同部隊は当時、帝国陸軍でも指折りの練度を誇っていました。
池田連隊長は、出撃直前に将校たちを集めてこう問いかけました。「われわれはいま、終戦を迎えて赤誠をもって武装解除に服しようとしていた。しかし不法にも我が領土を侵し、同胞を蹂躙せんとする敵が現れた。諸子はいま、赤子の微衷を尽くして祖国のために死ねるか」。居並ぶ将校全員が無言で頷き、池田大佐は「よし、それなら一緒に征こう」と微笑んだといいます。
白樺の木々を車体に模した迷彩戦車がエンジンを轟かせ、霧が立ち込める四嶺山へと突撃しました。池田連隊長自身は日の丸の鉢巻きを締め、軍刀を手に戦車のハッチから身を乗り出して陣頭指揮を執りました。ソ連軍が持ち込んだ強力な対戦車ライフル(PTRD-41)の集中砲火を浴びながらも、戦車第11連隊は敵歩兵陣地を蹂躙。池田大佐は乗車が被弾炎上して壮絶な戦死を遂げましたが、この猛烈な突進によってソ連軍はパニックに陥り、海岸線へと押し戻されることになりました。自らの命を投げ打って敵の進撃を食い止めた戦車隊の奮戦は、まさにこの戦闘の勝勢を決定づけた分水嶺でした。