結論から申し上げます。トラネキサム酸の内服によって「白髪が増加する」という医学的・生物学的な根拠は存在しません。皮膚科医や形成外科医で構成される医療現場において、この言説は完全に「科学的根拠を欠いた都市伝説」として位置づけられています。
では、なぜこれほどまでに「白髪が増える」という噂が強固に信じ込まれているのでしょうか。その発端は、トラネキサム酸が持つメラニン生成の抑制メカニズムに対する根本的な誤認にあります。
トラネキサム酸は、人工的に合成された抗プラスミン作用を持つアミノ酸(リジン誘導体)です。紫外線や女性ホルモンの乱れによって表皮細胞(ケラチノサイト)が刺激を受けると、情報伝達物質であるプラスミンやプロスタグランジンが分泌され、これがメラノサイト(色素細胞)に「メラニンを作れ」と指令を出します。トラネキサム酸の役割は、このプラスミンの働きをブロックし、炎症によるメラノサイトへの異常な刺激シグナルを遮断することにあります。
ここで決定的に重要なのは、「表皮のシミ」と「毛髪の黒さ」を作るメカニズムの違いです。
- 肌のメラニン生成:紫外線や摩擦、ホルモン刺激による炎症カスケードがトリガーとなって過剰生成される(トラネキサム酸が抑制するのはこの炎症プロセス)。
- 髪の毛のメラニン生成:毛包のバルジ領域にある色素幹細胞から分化し、毛母細胞に存在する毛包メラノサイトがチロシナーゼという酵素を使ってチロシンから直接メラニンを合成する恒常的なシステム。
日本皮膚科学会に所属する複数の皮膚科専門医が公表している見解でも、「トラネキサム酸は異常な炎症刺激を鎮静化させる薬剤であり、毛根で正常に行われている生理的なメラニン合成酵素(チロシナーゼ)の働きを阻害する作用機序は持たない」と明言されています。つまり、トラネキサム酸を服用しても、頭髪の黒い色素を作る工場が停止することは生化学的にあり得ないのです。