日本のアーケードゲーム史を振り返ると、「脱衣」という要素はプレイヤーのインカム(硬貨投入率)を跳ね上げる最強の起爆剤でした。1980年代初頭の『ジャンピューター』に端を発し、駄菓子屋やゲームセンターに置かれた脱衣じゃんけん アーケード名作の数々は、限られたハードウェア性能のなかでドット絵技術の限界を押し広げました。
その極致が1980年代後半から1990年代にかけて爆発的ブームを巻き起こした『スーパーリアル麻雀』シリーズ(セタ)や『麻雀学園』(日本物産)に代表される脱衣麻雀です。当時の開発者がメディアインタビューで「アニメーターを総動員して1枚1枚セル画を描き起こし、家庭用ゲームでは不可能な滑らかなアニメーションを追求した」と回想するように、莫大な開発費とトップクリエイターの技術が惜しみなく注ぎ込まれていました。
現在でもレトロゲーム愛好家の間では、家庭用移植版やアーケードアーカイブスを通じて「おすすめの脱衣麻雀作品」が語り継がれています。当時は麻雀の思考アルゴリズムの難易度を極限まで引き上げ、プレイヤーに100円玉を連続投入させるための「到達報酬」として脱衣ギミックが機能していました。しかし、このエコシステムはゲームセンター自体の衰退と家庭用ゲーム機の表現自主規制の波によって、1990年代末から急速に曲がり角を迎えます。