「夢の跡」という言葉は、かつて華やかに栄えたり、人々が激しい情熱や野望を燃やしたりした場所や物事が過ぎ去り、現在はその痕跡だけが虚しく残っている情景を意味します。ここで用いられる「夢」とは、睡眠中に見る幻覚ではなく、「現世の栄華」「はかない野望」「かつて抱いた大志」の象徴です。そして「跡」は、その営みが消え去った後に遺された痕跡や廃墟、名残を指しています。
語源の出発点となったのは、元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が弟子の河合曾良を伴って東北・北陸を巡った旅の記録『おくのほそ道』です。奥州平泉の地に立ち、かつて栄耀栄華を極めた奥州藤原氏の残影と、非業の死を遂げた源義経主従の最期に思いを馳せた芭蕉が、眼前に広がる生い茂った夏草を見て詠んだ一句が、この表現を不朽のものとしました。
文学史の研究資料や古典注釈書によると、芭蕉はこの句を詠むにあたり、中国唐代の詩人・杜甫の代表作『春望』の一節「国破れて山河在り、城春にして草木深し」の精神を深く受容していたことが分かっています。人間の権力争いや繁栄がいかに儚くとも、自然だけは変わらず夏草を茂らせるという「無常観」と「自然の永続性」の対比こそが、「夢の跡」という言葉の根底に流れる真の情緒です。