歴史と神話の領域から土俵へと舞台を移すと、「逆鉾」という名は大相撲の輝かしい伝統を背負う名門の代名詞として登場します。この四股名は、名峰・高千穂峰を擁する南九州・鹿児島県(旧薩摩藩)の出身者にとって、極めて神聖で重みのある象徴でした。
大相撲においてこの名を最初に全国区にしたのは、昭和の大相撲で「もろ差し名人」として鳴らした先代の井筒親方(元関脇・鶴嶺山、のちに逆鉾を名乗る)です。そして、その類まれな相撲センスと誇りを完璧に受け継いだのが、実の次男である十四代井筒親方・元関脇「逆鉾昭廣(さかほこ あきひろ)」でした。
逆鉾昭廣は、兄の鶴嶺山、弟の寺尾(元関脇・寺尾常史、のちの錣山親方)とともに「井筒3兄弟」として一世を風靡。父譲りの鋭いもろ差しと絶妙な寄り、そして土俵際での驚異的な粘り腰を武器に、昭和末期から平成初期の土俵で大関・横綱を幾度となく苦しめました。四股名「逆鉾」の由来は、父の故郷である鹿児島と宮崎の象徴・高千穂峰の天逆鉾であり、「いかなる巨漢の重圧にも決して折れず、大地に根を張る神宝のごとくあれ」という祈りが込められていたのです。