太宰治がなぜあれほどまでに自己の出自に苦悩し、独自の文学世界を切り拓くことになったのか。その答えは、津島淳氏のルーツでもある青森県五所川原市金木町に現存する大豪邸「斜陽館(旧津島家住宅)」にあります。
斜陽館は、太宰の父である津島源右衛門が1907年(明治40年)に建てた豪邸です。敷地約680坪、延べ床面積約280坪、部屋数は19LDKに及ぶ壮大さを誇り、青森ヒバを惜しみなく使った和洋折衷の建築美は国の重要文化財に指定されています。当時の津島家は「金木の殿様」と呼ばれるほどの北前船交易と金融・田畑の集積で財を成した青森有数の大地主でした。
太宰治(津島修治)はこの途方もない富と特権階級の家に生まれながらも、小作農から収奪して成り立っている自家の構造に激しい罪悪感を抱き続けました。上京後の左翼運動への傾倒や、実家からの分家・除籍騒動、そして無頼の生活へと突き進んだ背景には、この「金木の大地主の血」に対する強烈な葛藤があったことは文学界の定説です。
時を経て現在、この斜陽館は太宰治記念館として一般公開され、年間を通じて多くの観光客が訪れる文化的名所となっています。孫である津島淳氏もテレビ特番などで斜陽館を案内する機会があり、祖父の生家について「幼い頃に訪れた際の圧倒的な木造建築の重厚感と、太宰がここで抱えていた孤独の深さを改めて感じる」とメディアの取材で語っています。