1946年1月1日の発布直後、海外メディアはこのニュースを一斉にトップで報じました。ニューヨーク・タイムズ紙は「Emperor Divests Himself of Divinity(天皇、自らの神性を放棄)」とセンセーショナルに書き立て、マッカーサーも即座に「天皇は自発的に神性を放棄し、自由主義の旗手となった」と絶賛の公式声明を発表しました。
しかし、ここには東西の宗教観・世界観の決定的なズレが存在していました。
キリスト教圏である欧米社会では、「神(God)」とは天地を創造した唯一絶対の全知全能の存在です。そのため、欧米人は「日本の天皇は自らを全能の神だと本気で主張していたのか」と受け止め、それを放棄したことを劇的な大事件と解釈しました。
対して、日本の神道における「神(カミ)」は八百万(やおよろず)の神々に代表されるように、自然や先祖、畏怖すべき存在を広く指す概念です。天皇は古代から「神の子孫であり、神を祀る最高祭司」であっても、全知全能の創造主と考えられていたわけではありません。日本側にとって「現御神の否定」とは、戦時中に極端化された狂信的な政治利用を解体し、本来の皇室のあり方に戻すことを意味していました。