宮沢光子の原点は、米軍キャンプや外国人文化の薫りが色濃く残る昭和40年代の六本木にある。ハーフとして生まれ、その日本人離れした美貌と抜群のスタイルで、若い頃の彼女は街の視線を一身に集める存在だった。当時の知人は「彼女が歩くだけで、周囲の空気が変わった」と証言する。
オランダ人男性との間に娘・りえをもうけたものの、結婚生活は破綻。シングルマザーとして生きることを決意した光子は、モデルとして活動しながら、夜の街で自らの人脈を築いていった。彼女にとって、若さは武器であり、同時に過酷な現実を生き抜くための防具でもあったのだ。この時期に培われた「他人の目を気にせず、己の美学を貫く」という姿勢が、のちの「りえママ」の強固な背骨となったことは疑いようがない。