森進一と弟の間には、昭和の家族史を象徴するような深い情愛と犠牲のエピソードが残されています。
1966年に『女のためいき』で鮮烈なデビューを飾り、瞬く間にトップスターへと駆け上がった森進一。しかし、彼が歌い続けた最大の動機は、自身の名声や贅沢のためではなく、「家族を貧困から救い出し、弟や妹たちに自分と同じ苦労をさせないこと」でした。
自身が経済的困窮によって高校進学を諦めざるを得なかった悔しさを胸に秘めていた森進一は、弟に対して「勉強がしたいなら、絶対に大学まで行かせてやる」と約束。多忙を極める芸能活動の中で得た収入から、弟の大学受験料、入学金、4年間の学費、さらには生活費に至るまですべてを単身で負担しました。
当時のインタビューや関係者の証言でも、「弟が大学を無事に卒業したとき、兄としてようやく肩の荷が下りたような気がした」と安堵の想いを口にしていたことが記録されています。自らの青春を犠牲にして家族の礎となった長男と、その恩義を胸に堅実に生きた弟。二人の間には、言葉以上の強固な絆が結ばれていました。