新選組メンバーの役職と強さ一覧|幹部の壮絶な最期と粛清の真相

新選組メンバーの役職と強さ一覧|幹部の壮絶な最期と粛清の真相

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新選組の象徴とも言える2人の幹部、沖田総司と土方歳三。彼らは対照的な形でその生涯を閉じました。

沖田総司 死因の真相:若き天才を蝕んだ不治の病

池田屋事件の最中に喀血して倒れたという描写が広く知られていますが、近年の史料研究では、事件当日に倒れた記録はなく、その後も軍事行動に参加していたことが確認されています。

しかし、慶応3年(1867年)頃から病状が悪化。沖田総司の死因の真相は、当時不治の病と恐れられた「肺結核(労咳)」です。鳥羽・伏見の戦いには参加できず、大坂から江戸へと後送された沖田は、幕府の典医・松本良順の手配により千駄ヶ谷の植木屋・柴田平五郎宅の離れに潜伏。近藤勇が下総流山で捕縛され斬首された事実を知らされぬまま、慶応4年(1868年)5月30日、20代半ばの若さで息を引き取りました。

土方歳三 最期:函館・一本木関門に散った武士の誇り

一方、盟友・近藤の死後も旧幕府軍を率いて各地を転戦した土方歳三の最期は、箱館戦争の激戦地でした。明治2年(1869年)5月11日、新政府軍の総攻撃により孤立した弁天台場を救出するため、土方は僅かな兵を率いて一本木関門へ出撃。「我、この柵を越えて敵に向かわん」と叫び、馬上で指揮を執るなか、腹部に敵弾を受け落命しました(享年35)。

新撰組幹部写真一覧のなかでも、土方が箱館で撮影した洋装・ブーツ姿の肖像写真は、類まれな美貌と凛とした気迫を今に伝えており、幕末期における最高傑作の肖像写真として国内外で評価され続けています。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。