鏑矢の読み方は「かぶらや」であり、先端に取り付けられた木製または角製の中空の球体が、野菜の「蕪(かぶら)」の形状に酷似していることからその名が付けられました。別名として「鳴鏑(なりかぶら)」とも呼ばれ、矢が風を切って飛ぶ際に独特の音響を発生させる仕掛けを持っています。
日本の軍記物語において、鏑矢は単なる武器以上の崇高な役割を担っていました。もっとも代表的な用途が開戦の合図です。平安後期から鎌倉時代にかけての一騎打ちを中心とする合戦では、両軍が布陣を完了したあと、まず双方の代表者が相手陣営に向けて鏑矢を放ち合う「矢合わせ(やあわせ)」と呼ばれる儀式が執り行われました。
この矢合わせには、軍事的なタイミングを合わせるシグナルとしての役割だけでなく、宗教的な意味合いが強く込められていました。当時の武士にとって、戦は勝手な人殺しではなく、自らの大義と家の誇りを賭けた公闘争でした。天の神や地の神、八幡大菩薩などの軍神に対して「これより正当な戦いを開始する」と奉告し、戦場に巣食う邪気を祓い清めるために、音を立てる鏑矢が空高く放たれたのです。
鏑矢の歴史的経緯をたどると、その起源は古代中国の騎馬民族スキタイや匈奴(きょうど)が用いた「鳴鏑」に行き着きます。『史記』匈奴列伝には、冒頓単于(ぼくとつつあんゆ)が自ら放った鳴鏑の着弾点へ部下に一斉射撃を命じて訓練を施した記述が残されており、集団戦の指揮管制・標的指示(ターゲティング)ツールとして大陸全土で重宝されていました。それが古代日本へと伝来し、日本の精神風土や弓馬の道と融合した結果、礼節と神聖性を重んじる武士独自の開戦儀礼へと昇華していきました。