牛丼280円の熱狂の裏側には、予期せぬ国際情勢による最大の経営危機が潜んでいました。それが2003年12月に発覚した米国産牛肉のBSE(牛海綿状脳症)問題です。
日本政府は直ちに米国産牛肉の輸入を全面停止。牛丼の命とも言える「ショートプレート(穀物肥育の米国産バラ肉)」の調達ルートを断たれた吉野家は、2004年2月11日、ついに全国の店舗で牛丼の販売休止に追い込まれます。牛丼の提供最終日には、最後の一杯を求めようと店舗の前に数百人のサラリーマンや学生が行列を作り、ニュース番組のトップで報じられる社会現象となりました。
この危機下で誕生した救世主が、吉野家BSE問題と豚丼の歴史を語る上で欠かせない「豚丼(ぶたどん)」です。オーストラリア産牛肉への切り替えを模索したものの、吉野家特有の秘伝のタレに合う脂身の旨味を再現できず、開発陣が血のにじむような試行錯誤の末に生み出した代替メニューでした。現場の店員からは「牛丼がない吉野家にお客様が来てくれるのか」という悲鳴が上がったものの、豚丼は店舗の屋台骨を支え続けました。
当時の店舗運営記録や関係者の証言を紐解くと、吉野家値下げ戦争の真相とは、単にライバル企業と価格を削り合う争いではなく、原材料の供給リスクや為替変動という巨大なグローバル資本主義の波に翻弄されながら、いかにブランドのアイデンティティを守り抜くかという死闘そのものでした。2006年9月に米国産牛肉の輸入が条件付きで再開され、数量限定で牛丼が復活した際、店頭で涙を流しながら牛丼を口にする常連客の姿は、多くのメディアで感動的なルポルタージュとして取り上げられました。