竹島問題における韓国の主張と真相|歴史的根拠と日本の反論を徹底検証

竹島問題における韓国の主張と真相|歴史的根拠と日本の反論を徹底検証

竹島問題における韓国の主張と真相|歴史的根拠と日本の反論を徹底検証の概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。

竹島問題の歴史的経緯を検証する際、韓国側が古くからの実効支配の証拠として挙げるのが、朝鮮時代の官撰地理書『三国史記』(1145年)や『新増東国輿地勝覧』(1530年)などに登場する「于山島(うざんとう)」の存在です。韓国政府は、この于山島こそが現在の独島(竹島)であると主張しています。

しかし、当時の古文書の記述や付属の古地図(『八道総図』など)をつぶさに検証すると、重大な矛盾が浮かび上がります。文献に記された于山島には「樹木が茂り、住民が暮らしていた」といった記述が見られますが、東西2つの険しい岩礁からなる竹島は飲料水も乏しく、樹木が生い茂る環境ではありません。また古地図では、于山島は鬱陵島の「西側」や極めて近接した位置に描かれており、距離的にも鬱陵島から東南へ約87キロメートル離れた竹島とは明らかに合致しません。日本の外務省や歴史研究者は、于山島は鬱陵島のすぐ東隣にある小島「竹嶼(チュクト)」、あるいは鬱陵島自体の別名や幻想の島を指していたに過ぎないと指摘しています。

さらに韓国側が近代の根拠として重視するのが、1900年10月に発布された大韓帝国勅令第41号です。この勅令では、鬱島郡の管轄区域として「鬱陵全島、竹島、石島」が明記されました。韓国側は、この「石島(ソクド)」が方言で「トルソム(石の島)」と呼ばれ、これが「トクソム」へと転訛し、漢字の当て字として「独島」になったと主張しています。

これに対し、日本政府の反論と領有権根拠は極めて明快です。当時、鬱陵島周辺で「石島」が現在の竹島を指していた客観的証拠は一切存在しません。むしろ、鬱陵島の至近にある観音島や竹嶼を指していたとする解釈が自然です。対する日本は、17世紀半ばの江戸時代初期には鳥取藩の町人が幕府の公認(渡海免許)を得て鬱陵島や竹島でアワビ漁やアシカ猟を行っており、領有権を確立していました。1905年1月28日の閣議決定および島根県告示第40号による島根県隠岐島庁への編入は、それまでの歴史的権原を近代国際法に則って再確認・公示した正当な行政措置でした。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。