テレビ創成期から国民的スターであり続ける娘の原点を語るうえで、父の存在は欠かせません。「黒柳徹子の父親の職業は?」という問いに対し、単に「音楽家」と答えるだけではその真価を捉えきれません。守綱氏は、日本の洋楽受容期におけるトップランナーであり、妥協なき孤高のバイオリニストでした。
守綱氏は1908年(明治41年)6月20日、現在の愛知県に生まれました。幼少期からバイオリンの才能を現し、東京音楽学校(現・東京藝術大学)で研鑽を積むと、弱冠24歳前後の若さで指揮者・近衛秀麿らが率いる新交響楽団(のちの日本交響楽団、現・NHK交響楽団)のコンサートマスターに就任します。当時の音楽界において、オーケストラの演奏陣を統率するコンサートマスターはまさに楽団の顔であり、彼の卓越したボウイングと艶やかな音色は、国内外の指揮者たちから絶賛を浴びました。
私生活では常にダンディで、衣服の仕立てや身だしなみにも一切の妥協を許さない美意識の持ち主でした。徹子さんの自伝的著作や回想録によれば、朝起きてからバイオリンの練習に入るまでの所作一つひとつに規律があり、芸術に対してどこまでも真摯な姿勢を貫いていた様子が鮮明に記録されています。