インターネット上の短文レビューでは時折、「江國香織の小説は不倫を美化している」「ブルジョワ的でおしゃれな雰囲気を楽しむだけの小説ではないか」という偏見や誤解が見受けられます。
しかし、これは極めて表層的な見方にすぎません。作品を丹念に読み解けば、登場人物たちが奔放な恋愛の代償として支払っている精神的な代償の大きさに気づかされます。例えば『神様のボート』において、主人公の母・葉子は「いつか彼が戻ってくる」という記憶に縋り、娘を連れて街から街へと引越しを繰り返しますが、その姿はロマンチックであると同時に、正気を失っていく者の凄絶な狂気を帯びています。
江國香織は不倫や背徳行為を免罪するために描いているのではなく、「日常の規範を破ってしまった人間が、逃げ場のない孤独とどう向き合って生きていくのか」という極限の心理状態を冷徹に観察しているのです。その冷徹なメスさばきこそが、作品の本質的な凄みといえます。