建物の歴史は1935年に遡る。元々は気象庁の前身組織の流れを汲む広島地方気象台の庁舎として建設された。当時は最新鋭のアール・デコ調のデザインが施され、標高約37メートルの山頂から瀬戸内海の気象観測を担っていた。しかし1945年8月6日、爆心地から約3.7キロメートルの距離で被爆。強烈な熱線と猛烈な爆風がこの場所を容赦なく襲った。
驚くべきことに、建物自体の倒壊は免れた。被爆直後、窓ガラスが無数に砕け散り、コンクリートの壁や柱に深く突き刺さった。館内には今もその生々しい破片が当時のまま保存されている。職員たちは自身も重傷を負いながら、傷だらけの観測機器をかき集め、当日の気象記録を取り続けた。その執念が生んだ観測データは、被爆建物としての価値だけでなく、科学の灯を絶やさなかった人間の誇りを今に伝えている。