長年、和同開珎の発行は「平城京遷都に伴う莫大な建設費用を賄うための財政策」と説明されてきた。しかし、2026年現在の最新研究が示す像は、はるかに野心的だ。武蔵国(現在の埼玉県)から純度の高い自然銅が献上されたことを受け、即座に「和同」へと改元を断行した元明天皇。その脳裏にあったのは、東アジアの絶対的覇者である唐の制度を模倣しつつも、それに立ち向かう「独立国家・日本」の姿であった。
貨幣を発行し、自国の領域内でそれを価値の尺度として機能させること。これは中華帝国と対等な外交関係を結ぶうえで不可欠な国家の証明でもあった。元明天皇は、官人に支払う給与(俸禄)として和同開珎を支給し、さらに土地の購入や税の納付に銭貨の使用を義務付けるなど、強硬とも言える法整備を次々と打ち出した。国家の威信を一枚の小銭に託した女帝の冷徹な計算が、そこには透けて見える。