早稲田大学在学中からコント台本を執筆していた青島幸男は、若くして放送作家としての才能を開花させた。ラジオからテレビへと大衆娯楽の主役がシフトする黎明期、彼の放つエッジの効いたユーモアは一気に茶の間を魅了した。単に笑いを提供するだけでなく、社会の矛盾や人間の業を絶妙なパロディへと昇華させる手腕は、当時のテレビ放送事業関係者に大きな衝撃を与えたのである。
さらに彼の才能は作詞の分野でも爆発した。『スーダラ節』をはじめとする一連の流行歌は、高度経済成長期の日本社会に対する皮肉と開放感を同時に表現し、日本中の誰もが口ずさむ大ヒットとなった。自らマイクを握り、時には画面のフロントに立つことで、「裏方」と「表舞台」の垣根を軽々と取り払ってみせたことこそ、彼がマルチタレントの先駆けと呼ばれる最大の所以である。