そもそも、なぜ日本人は選択に迷った際、口を揃えて「天の神様」を召喚するのだろうか。民俗学者の柳田國男や折口信夫らが指摘したように、日本古来の精神世界において「物事をくじで決める行為」は単なる偶然の遊戯ではなく、人間の作為を排除して神仏の意志を直接仰ぐ神託(オラクル)儀礼そのものであった。
古代の盟神探湯(くかたち)や中世の社寺における籤引き(くじびき)政治に代表されるように、自分たちでは決定できない重大な方針は「神の神慮」に委ねるのが伝統的な習俗であった。辻(交差点)に立ち、通りがかる見知らぬ人の言葉から神の吉凶を読み解く「辻占い(つじうらない)」もその系譜に連なる。子どもたちの決め歌は、かつて大人たちが執り行っていた厳粛な占い神事が、時代を経て子どもの遊びへと定着した文化の残滓なのである。
では、東日本で頻出する「なのなのな」という謎めいた呪文のような言葉は何を意味しているのだろうか。国語学者や児童文化研究者の間では、主に3つの有力な仮説が提示されている。
- 仮説1:仏教の念仏転化説(南無南無…)
神仏習合の時代、神棚だけでなく仏壇にも手を合わせた庶民の暮らしの中で、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の「南無南無(なむなむ)」が子どもの口調で「なのなの」へと転訛したという説。 - 仮説2:神名・名告り(なづけ)説
「神の御名(みな)のままに」「神の名の名」という表現が約され、神の絶対的な神聖性を讃える囃子詞(はやしことば)として残ったとする説。 - 仮説3:植物連想・押韻説
「菜の葉の菜」のように、後に続く「柿の種」などの植物・種子イメージと呼応し、意味よりも口当たりの良いリズム(押韻)として自然発生したとする言語遊戯説。
いずれの説に立脚しても共通しているのは、日常的な理屈を超えた「言霊(ことだま)」の力を借りて、歌に決定的な説得力を付与しようとした先人たちの言語感覚である。