賀陽家とは何者か?家系図・息子の現在から皇籍復帰の真相まで徹底検証

賀陽家とは何者か?家系図・息子の現在から皇籍復帰の真相まで徹底検証

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賀陽家を深く理解するためには、まずその血統の源流である幕末から近代への歩みを振り返る必要があります。賀陽家の創始者は、久邇宮朝彦親王の第2王子である賀陽宮邦憲王(かやのみやくにのりおう)です。明治33年(1900年)、明治天皇より「賀陽宮」の宮号を賜り、新たな宮家として設立されました。家名は、かつて平安京の北辺に位置した歴史的地名「賀陽」に由来します。

邦憲王は伊勢神宮の祭主などを務め、皇室の精神的支柱として重責を担いました。その跡を継いだ第2代・恒憲王は陸軍中将として軍務に服し、戦時中から終戦直後の混乱期を宮家当主として支えました。しかし、昭和22年(1947年)10月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策下において、いわゆる「11宮家51名」の皇籍離脱が断行され、賀陽宮家もまた皇族の身分を離れ、一民間人「賀陽家」としての道を歩むこととなったのです。

戦後の家系図を辿ると、恒憲王には6男1女という多くの子女がいました。長男である邦寿氏は元陸軍大尉で戦後は実業家として活躍しましたが、直系の子孫には恵まれませんでした。そのため、第3子である章憲氏の家系が正統な血脈を継承し、その長男にあたる賀陽正憲(かやまさてのり)氏が、現在の賀陽家当主となっています。伏見宮系統から連なる男系男子の血統を途切れさせることなく、今日まで連綿と紡いできた家系図の重みこそが、今なお政界や宮内庁周辺で注目される最大の歴史的背景です。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。