現役引退後、寺尾は年寄・錣山を襲名し、2004年に井筒部屋から分家独立して錣山部屋を創設しました。「礼儀と感謝」を重んじる指導方針のもと、自らの技術と相撲道を惜しみなく若い世代へと注ぎ込みます。
その薫陶を最も色濃く受けたのが、幕内最高優勝を果たした関脇・阿炎です。寺尾直伝の長いリーチを活かした諸手突きと鋭い喉輪を武器に台頭した阿炎ですが、過去の不祥事による出場停止処分など大きな挫折も経験しました。その際、錣山親方は自らも処分を受け止めながら、決して弟子を見捨てることなく厳しくも温かく更生の道を支え続けました。
2026年11月場所で阿炎が涙の初優勝を飾った際、病床の親方に届けられた白星は師弟の絆の結晶そのものでした。また、部屋の運営や弟子たちの生活環境づくりにおいては、妻の伊津美さんをはじめとする家族の献身的な支えが大きな原動力となっていました。