事故から1世紀以上の時を経た現在、事故現場となった北海道上川郡和寒町の塩狩峠は、鉄道遺産および文学の聖地として静かな佇まいを見せています。
事故当時、この場所に駅はありませんでしたが、長野政雄の殉職を契機に1916年(大正5年)に「塩狩信号所」が開設され、1924年(大正13年)に旅客を扱う宗谷本線・塩狩駅へと昇格しました。現在では春にエゾヤマザクラが咲き誇る名所としても知られ、四季折々の美しい風景が広がっています。
塩狩駅のすぐそばには、有志や鉄道関係者によって建立された「長野政雄顕彰碑」が厳かに建っています。石碑には長野の遺徳を讃える言葉が刻まれており、現地を訪れる旅人や鉄道ファンが絶えず手を合わせています。
さらに駅前には、三浦綾子がかつて暮らした旭川市内の旧宅を復元・移築した「塩狩峠記念館」が開設されており、小説の直筆原稿や取材ノート、長野政雄に関する当時の貴重な写真や史料が展示されています。地元・和寒町や旭川の三浦綾子記念文学館関係者による手厚い保存活動により、記憶の風化を防ぐ取り組みが続けられています。