犯人である安重根(アン・ジュングン)は、なぜ日本の最高実力者であった伊藤博文を標的に選んだのでしょうか。この暗殺の根本的な理由を読み解くには、日露戦争後の朝鮮半島を巡る統治機構、すなわち朝鮮統監府の歴史と安重根個人のナショナリズムを紐解く必要があります。
1905年の第2次日韓協約(乙巳保護条約)によって大韓帝国は外交権を失い、日本の保護国となりました。その統治の最高機関として設置されたのが朝鮮統監府であり、初代統監に就任したのが他ならぬ伊藤博文でした。伊藤は施政改善や近代化を名目に財政改革や司法・軍事の掌握を進めましたが、主権を侵害された朝鮮民衆の間では激しい反発が渦巻き、各地で義兵運動と呼ばれる武装蜂起が頻発していました。
安重根自身も熱心なカトリック信徒でありながら、私立学校を設立して教育運動に携わった後、ウラジオストクへ亡命して義兵軍を組織し、武力抗日闘争に身を投じていた人物です。逮捕後に行われた関東都督府地方裁判所での取り調べにおいて、安重根は伊藤博文の暗殺理由として「伊藤の15の罪状」を堂々と陳述しました。
その尋問記録によると、安重根は1895年の乙未事変(閔妃暗殺事件)への関与主張、大韓帝国皇帝(高宗)の強制退位、第3次日韓協約締結による軍隊解散、無実の朝鮮人虐殺、鉄道・鉱山・森林の利権強奪など、15項目にわたって伊藤の施政を厳しく糾弾しています。安重根にとって伊藤は「東洋の平和を乱し、大韓帝国の独立と国権を奪った不倶戴天の元凶」であり、伊藤を排除することこそが朝鮮独立と東洋の平和を実現する唯一の道だと確信していたのです。