稲川裕紘(本名・稲川秀二郎)は、稲川会創始者である稲川聖城の長男として生まれた。幼少期から組織の成長とともに育ち、昭和の激動期における裏社会の裏表を熟知する環境に置かれた。しかし、巨大組織のトップの実子という立場は、決して平坦な道を保障するものではなかった。
周囲からの過度な期待と警戒、そして幹部たちの複雑な思惑が渦巻く中、彼は組織の実動部隊や青年部での現場経験を重ねていく。圧倒的なカリスマ性を持つ父・聖城の影を感じつつも、独自の人間関係と鋭い直感力を養っていった。二代目会長・石井隆匡体制下においても組織の中枢で実績を積み、若頭などの要職を歴任。組織の広域化と資金力の強化に向けた実務を着実に仕切っていったのである。