古代日本の骨格を形作った大宝律令や養老律令において、刑罰体系は「笞(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)」の五刑に厳格に分類されていた。序列として流刑は死刑の直下に位置づけられていたものの、当時の貴族や官人たちにとって、命を奪われること以上に恐れられたのがこの配流処分である。
魂の平安と血筋の尊厳を重んじた古代社会において、都から遠く引き離されることは、現世における存在価値の完全な喪失を意味した。律令制では距離に応じて「近流(ごんる)」「中流(ちゅうる)」「遠流(おんる)」の三段階が定められ、重罪人ほど都から遠方へと追いやられた。移動費用すら自己負担を原則とし、道中で飢餓や病に倒れる者も少なくなかった。物理的な死を免れたとしても、都の雅な社会から永久に切り離される精神的苦痛は、即座に命を絶たれる死刑以上の恐怖として当時の記録に生々しく刻まれている。