明治20年代、新聞『日本』の紙面を舞台に正岡子規が起こしたムーブメントは、当時の文学界に激震を与えた。彼は旧態依然とした宗匠たちのやりとりを痛烈に批判し、「発句」を独立した一首の詩として扱うべきだと主張した。この時、「俳諧の発句」を略して作られた造語こそが「俳句」である。
結核という病魔と闘いながら、彼は五・七・五の極小のキャンバスに目の前の現実をありのままに写し取る論理を構築した。古くさい連歌の束縛から解放された17文字は、こうして個人の感情や情景を表現するまったく新しい近代文学としての生命を得たのだった。