1970年代初頭の日本の音楽シーンにおいて、ペドロ&カプリシャスが辿ったボーカル交代の歴史は、まさに奇跡的なサクセスストーリーとして記録されています。初代ボーカルの前野曜子は、宝塚音楽学校中退後にナイトクラブ等で歌っていたところをスカウトされ、その圧倒的な存在感でバンドを一躍トップスターへ押し上げました。
しかし、ブレイクによる多忙とグループ内部での音楽性のズレ、さらに繊細な精神性ゆえの葛藤から、前野曜子は1973年に突如としてバンドを脱退します。バンド最大のヒット曲の象徴であった看板ボーカルの離脱は、通常であればグループの存亡に関わる致命的な危機でした。
そこで白羽の矢が立ったのが、福岡のクラブで卓越したジャズ・ポップスの歌唱力を誇っていた高橋まり(現・高橋真梨子)でした。リーダーのペドロ梅村が彼女の歌声を聴き、即座に上京を口説き落としたというエピソードは有名です。前任者が築き上げた巨大なヒットのプレッシャーが渦巻く中、高橋真梨子は加入直後の1973年に『ジョニィへの伝言』、続いて『五番街のマリーへ』を立て続けに大ヒットさせ、前任の影を払拭するどころかバンドの黄金期を決定づけました。
音楽史を俯瞰すると、ペドロ&カプリシャス 歴代ボーカルには前野曜子(初代)、高橋真梨子(2代目)に続き、松平直子(3代目)など実力派シンガーが名を連ねていますが、中でも前野から高橋への交代劇は、日本のポップス史において「初代の遺産を超えて双方が歴史的アイコンとなった極めて稀有な事例」として語り継がれています。