小和田金吉は、1867年(慶応3年)の幕末に生まれ、明治という新時代においていち早く公教育の重要性に着目した新潟県の教育者です。皇室の歴史において、民間から皇族・皇后を迎え入れる際には徹底した家系調査が行われますが、雅子さまのご成婚時にもその血脈の誠実さと堅実さが高く評価されました。
金吉の生きた時代は、明治政府が1872年(明治5年)に「学制」を頒布し、日本全国に近代初等教育を定着させようと格闘していた過渡期でした。財政的にも制度的にも未成熟だった地方の農村部において、子どもたちに読み書きや算術、国民としての道徳を教える教員の職務は、並外れた志と忍耐力を必要とする崇高な任務でした。
金吉は中条尋常高等小学校などで訓導(正規教員)として教壇に立ち、地域住民から深い尊敬を集めました。現在で例えるならば、地域社会の知的リーダーであり、近代日本の夜明けを足元から支えた実直な知識人でした。
しかし、金吉の生涯は決して平坦ではありませんでした。働き盛りの1900年(明治33年)、わずか33歳の若さで病に倒れ、急逝してしまいます。残された妻の竹野(旧姓・高橋)と幼い遺児たちには過酷な生活が待ち受けていましたが、金吉が家庭内に根づかせた学問を尊ぶ気風が途切れることはありませんでした。