稚内公園に建立されているモニュメントの正式名称は「樺太島民慰霊碑」。彫刻家・本郷新の手によって1963年8月に完成したこの像は、高さ8メートルの望郷の門と、過酷な風雪に耐え抜いた女性のブロンズ像から構成されています。門の合間から望む先にあるのは、かつて40万人を超える日本人が生活を営んでいた旧樺太の地です。
この記念碑が建てられた最大の歴史的背景には、太平洋戦争末期の痛ましい悲劇が存在します。1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送によって日本軍の戦闘停止が告げられたにもかかわらず、日ソ中立条約を破棄して参戦したソ連軍は千島列島および南樺太への進攻を継続しました。8月20日未明、樺太西海岸の要衝であった真岡町へソ連艦隊が艦砲射撃を開始し、激しい上陸作戦が展開されたのです。
戦火が町を焼き尽くすなか、真岡郵便局の電話交換室では、本土や周辺地域との通信回線を維持するために十数名の若き女性交換手たちが配置に残っていました。避難命令が出されていたものの、戦況連絡を伝える生命線を遮断するわけにはいかないという強い責任感から、彼女たちは逃げ場を失います。砲弾が局舎に迫り、ソ連兵の足音が廊下に響くなかで起きたのが、後世に「九人の乙女」と呼ばれる電話交換手たちの自決事件でした。
「交換台に座ったまま、誰からともなく青酸カリを手渡した」と語り継がれる極限状態のなか、最後に応答した稚内局へ向けて送られた通信記録には、悲痛な言葉が残されていました。
「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」
17歳から24歳という青春のただ中にあった女性9名が殉職したこの出来事は、戦後、樺太からの引揚者たちを中心に痛惜の記憶として胸に刻まれ、その御霊を慰めるために建てられたのが現在の稚内公園「氷雪の門」なのです。