中世の城は、敵の侵入を阻むために木々で視界を遮り、堀や土塁を迷路のように配置する「隠れる軍事施設」でした。しかし、信長はこの常識を180度覆します。
小牧山城の発掘によって明らかになったのは、山全体を階段状の石垣で飾り立て、麓から山頂までまっすぐに伸びる大手道を設けるという、極めて視覚効果を意識した都市計画でした。これは岐阜城の山麓御殿、そして安土城の総石垣へとダイレクトに昇華していきます。
安土城では、蛇行しない幅広の大手道が天守へと一直線に伸びています。軍事防御の観点だけを見れば侵入を容易にする危険な構造ですが、信長の主眼は「訪れた朝廷の使者、宣教師、同盟・従属大名を圧倒的な視覚的威圧感で平伏させること」にありました。防御の城から「統治と権威を可視化する城」への大転換こそ、信長が成し遂げた城郭革命の神髄です。