事故拡大の背景には、当時の政治判断と組織間コミュニケーションの破綻があった。菅直人首相(当時)による現地視察や官邸の介入をめぐっては、事故調査委員会ごとに評価が分かれ、長年の政治的論争の種となってきた。官邸、東電本店、現地対策本部の三頭政治状態が情報共有を著しく遅らせ、住民避難の混乱を助長したことは各種の事故調報告書でも厳しく指摘されている。
この反省から、推進と規制を分離する組織再編が行われ、独立した三条委員会として原子力規制委員会が発足した。かつての「安全神話」に依存した緩慢な規制基準は刷新され、シビアアクシデント(過酷事故)を想定した新たな基準が導入された。しかし、組織の看板を掛け替えるだけでヒューマンエラーや想定外の危機を完全に排除できるのかという問いは、いまなお重く残されている。