Q1:シベリア出兵の「建前」と「本音」の違いは何ですか?
A1:建前は「ロシア内戦で立ち往生したチェコスロバキア軍の救出」という人道的な国際支援活動でした。しかし本音は、ロシア革命で誕生した共産主義政権(ソビエト政権)を打倒・封じ込めることにあり、特に日本にとっては満蒙利権の強化と東シベリア地域への勢力圏拡大という独自の領土的野心が隠されていました。
Q2:なぜ日本だけが米英撤退後もシベリアに残り続けたのですか?
A2:アメリカやイギリスがロシア革命の定着とチェコ軍の脱出完了を見て早期に引き揚げたのに対し、日本陸軍は東シベリアに自国寄りの緩衝国家を樹立する野望を捨てきれなかったためです。さらに1920年に起きた「尼港事件」で多数の日本人居留民が惨殺されたことで世論が硬化し、軍部も「犠牲に見合う補償」を求めて北樺太などの軍事占領を継続したため撤退が遅れました。
Q3:シベリア出兵と「米騒動」はどのような因果関係がありますか?
A3:政府が7万人以上の軍隊を派遣することを事前に察知した米商人や投機筋が、「軍が大量の米を高値で買い上げる」と見越して市場の米を買い占めました。このため米の供給が滞り、価格が数カ月で急騰しました。生活が成り立たなくなった庶民の怒りが爆発し、富山県の漁村から全国へ打ちこわしや焼き討ちを伴う大暴動(米騒動)へと発展したのです。
Q4:シベリア出兵の最終的な結果と日本が得たものは何ですか?
A4:実質的な獲得益は「完全にゼロ」でした。日本は約10億円(当時の国家予算規模)という巨額の戦費を空費し、3,000人以上の死者を出しました。さらに居座りを続けたことで米英からの激しい不信と警戒を買い、国際的な孤立を深めただけで、1922年のワシントン会議の圧力に屈して無条件撤退を余儀なくされました。