具志堅用高の若い頃を語る上で外せないのが、研ぎ澄まされた野生の勘と圧倒的なパンチ力です。沖縄県立興南高等学校でボクシングを始め、インターハイでモスキート級優勝を飾った後、上京して協栄ジムに入門。1974年にプロデビューを果たしました。
1976年10月、プロわずか9戦目にしてWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に挑戦。下馬評を覆す7回KO勝利を収め、当時の日本最短記録で世界王座を奪取しました。この劇的な戴冠劇から、八重山諸島に生息する特別天然記念物にちなんで「カンムリワシ」の異名が定着します。
ここから始まったのが、日本スポーツ史に燦然と輝く防衛ロードです。1976年から1980年にかけて積み上げた世界王座防衛13回の記録は、具志堅用高が保持する男子日本人世界王者の不滅の金字塔となっています。
当時、世界戦の試合間隔は現代よりもはるかに短く、具志堅は年間3回から4回という過密スケジュールでタイトルマッチをこなしていました。過酷な減量苦と強烈なプレッシャーの中、サウスポースタイルから繰り出される正確無比な右リードと、相手のレバーをえぐる強烈な左ボディブローは、対戦相手にとって恐怖そのものでした。