物語の骨格は極めてシンプルでありながら、細部に宿る情景描写が読者の感覚を強く刺激します。若手お笑いコンビ「スパークス」のボケを担当する徳永は、営業で訪れた熱海海上花火大会の夜、異彩を放つ先輩芸人・神谷と運命的な出会いを果たします。神谷はお笑いコンビ「あほんだら」として活動しており、観客に媚びるどころか悪態を吐き散らすような破天荒な漫才を披露していました。
その純粋すぎるお笑いへの情熱と孤高の佇まいに圧倒された徳永は、衝動的に神谷へ弟子入りを志願します。神谷が提示した唯一の弟子入りの条件は、「僕の伝記を書くこと」でした。ここから、二人の奇妙で濃密な師弟関係が幕を開けます。
物語の主舞台となるのが、東京・武蔵野の風情を残す吉祥寺です。井の頭恩賜公園のベンチ、安居酒屋の煙たい一角、古びたアパートの薄い壁。金のない二人は夜な夜な吉祥寺の街を彷徨い、お笑いとは何か、表現とは何かについて果てしない議論を交わします。又吉直樹氏自身が下積み時代を過ごした吉祥寺の空気感が克明に描かれており、中央線カルチャー特有の甘美な挫折感と、何者かになりたい若者たちの熱気が文章の行間から立ち上ってきます。花火の閃光のように一瞬で消え去る青春の幻影が、吉祥寺という街の陰影と重なり合うことで、読者自身の記憶をも呼び覚ます普遍的な物語へと昇華されています。