インターネット上の言説では、草刈正雄のキャリアについて「恵まれた容姿で若くしてスカウトされ、トントン拍子でスターダムを駆け上がった」というイメージを持たれがちですが、これは明らかな誤解です。
昭和中期、米軍基地周辺で生まれた混血児に対する社会の視線は決して寛容なものではありませんでした。草刈自身、幼少期には心ない言葉を投げかけられた経験があり、貧困も重なって「自分の居場所」を模索し続けた青春時代を過ごしています。上京後も、モデルとしての成功の裏で「セリフを喋るとイメージが崩れる」と心無い批評を受けるなど、演技者としての評価を得るまでには長い下積みと自己研鑽が必要でした。
また、「父親に捨てられた」というトラウマは、長年にわたり彼のアイデンティティの根底に深い影を落としていました。華やかな芸能界の頂点にいながらも、どこか寂しげな陰影を漂わせていた理由――それこそが、彼が抱え続けていた「出自への葛藤」だったのです。『ファミリーヒストリー』の調査で実父の遺品から見つかったのは、遠い異国にいる息子を誇らしく思うような記録の数々でした。「捨てられたのではなく、運命に引き裂かれたのだ」と理解できたことが、近年の彼の演技にさらなる包容力と深みを与えていることは間違いありません。