神社仏閣巡りを嗜む方々の間で、古くから議論の的となってきたテーマが「日本三大稲荷の真相」です。全国に約3万社ある稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社、東日本を代表する茨城県の笠間稲荷神社までは衆目の一致するところですが、残る「三番目の座」については諸説が入り乱れてきました。
佐賀県鹿島市神社の中核である祐徳稲荷神社をはじめ、愛知県の豊川稲荷(妙厳寺)や岡山県の最上稲荷(妙教寺)がその座を巡って挙げられます。ここで着目すべきは、豊川稲荷や最上稲荷が曹洞宗や日蓮宗に属する「寺院(仏教寺院)」であるのに対し、純然たる神社神道として九州一帯の信仰を一手に集めてきたのが祐徳稲荷神社であるという決定的な事実です。神社本庁包括下の純粋な神社形式において、西日本屈指の社格と規模を誇る点こそが、三大稲荷の筆頭候補として揺るぎない評価を獲得している根拠となっています。
創建は貞享4年(1687年)。肥前鹿島藩主・鍋島直朝公に嫁いだ後陽成天皇の孫・花山院萬子媛(まんこひめ)が、京都の花山院邸から稲荷大神の御分霊を勧請したことに始まります。萬子媛自らが深く信仰を捧げ、後に「祐徳院」と号して自ら命婦となって入定(神格化)したという特異な歴史背景を持ちます。単なる民俗信仰の社にとどまらず、朝廷ゆかりの高貴な血統と武家政権の威信が融合した歴史的重みこそが、今なお「別格の霊場」として畏怖されるゆえんです。