学校教育や歴史ドラマの影響で「楽市楽座は信長がゼロから考え出した独創的なアイデア」と信じられがちですが、これは歴史学的には明確な誤解です。日本で最初に楽市令を発布したのは、近江(滋賀県)の有力守護大名・六角定頼(ろっかくさだより)です。
六角定頼は信長に先立つ1549年(天文18年)、自らの本拠地である観音寺城の城下・石寺新市において楽市令を発布しました。定頼は城下に商人を誘致するため、従来の座商人による独占を制限し、自由な出店を認めました。信長は近江平定の過程でこの六角氏の先進的な領国経営を吸収し、発展的かつ過激にブラッシュアップして活用したに過ぎません。
では、六角定頼の施策と織田信長の政策にはどのような違いがあったのでしょうか。客観的な事実と歴史的条件を以下の比較表にまとめました。
決定的な違いは、信長が「関所の撤廃」と「広域道路網の整備」を同時に断行した点にあります。いくら市場で税を免除しても、道中に無数の関所が残っていては物流は滞ります。信長は自領内の私的な関所をことごとく破却し、関銭(通行税)を全廃しました。これにより、商品が安価かつ驚異的なスピードで安土や岐阜へ流入する環境を整備したのです。