美濃金山城跡の全貌|森蘭丸生誕の地と破城の石垣に残る戦国の痕跡

美濃金山城跡の全貌|森蘭丸生誕の地と破城の石垣に残る戦国の痕跡

美濃金山城跡の全貌|森蘭丸生誕の地と破城の石垣に残る戦国の痕跡の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

美濃金山城跡を訪れた者が最も強い衝撃を受けるのが、本丸や天守台の周囲に残る「破城(はじょう)」の痕跡である。破城とは、軍事拠点の再利用を防ぐため、廃城時に城壁や石垣、門などを意図的に破壊する行為を指す。

慶長5年(1600年)、徳川家康の命により森忠政が信濃国川中島(海津城)へ13万7,500石で転封されると、美濃金山城は犬山城主・石川貞清(石川備前守)の預かりとなった。その後、関ヶ原合戦の前後に城の破却が命じられ、建物の解体のみならず、石垣の隅角部(算木積み部分)や要所が物理的に崩落させられた。現在も本丸下の斜面には、人為的に引き落とされた巨石が累々と折り重なり、崩された石垣の断面が露出している。

可児市教育委員会による発掘調査報告資料によると、本丸虎口や枡形周辺からは多数の破砕された石材とともに、信長・秀吉直属クラスの城にのみ使用が許された金箔瓦の破片が検出されている。自然崩壊ではなく「政治的・軍事的な意図を持った組織的破城」の痕跡がこれほど完全な状態で現存する例は全国的にも極めて珍しく、城郭考古学上、類を見ない価値を誇っている。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。