あずまやを表記する際、最も一般的に用いられるのが「東屋」であり、建築専門用語や伝統的な庭園意匠において好まれるのが「四阿」です。同じ対象を指しながらまったく異なるこの2つの表記は、日本人が歩んできた歴史的背景と建築的観察眼の違いから生み出されました。
東屋の語源と歴史は、平安時代の都(京都・奈良)の人々が東国(関東地方一帯)に向けていた視線に端を発します。当時の中央貴族にとって、都から遠く離れた東国の庶民が暮らす住居は、土壁で厳重に囲まれた豪壮な殿舎とは対照的な、掘立柱に簡素な茅葺き屋根を架けただけの極めて質素な粗屋敷に映りました。都人はこれを「東(あずま)の粗末な家」という意味を込めて「あずまや」と呼んだのです。『源氏物語』五十四帖の第四十九帖の巻名にも「東屋」が登場するように、風雨に晒される侘びしい東国の住まいというイメージは、王朝文学の中で一種の情緒や感傷を呼び起こす象徴となりました。やがて時代が下り、茶の湯や数寄屋造りの精神が花開いた室町・安土桃山時代以降、その「無駄を削ぎ落とした簡素さ」がかえって洗練された美として再評価され、庭園の休憩所へと取り入れられていきました。
対して、「四阿」の読み方と由来は極めて論理的な建築用語に基づいています。四阿の「阿(あ)」という漢字は、建築において「軒(のき)」や「屋根の棟・ひさし」を意味します。つまり「四阿」とは、屋根の軒が四方に等しく葺き下ろされている建築物をそのまま表した言葉です。四方に庇が広がり、どの角度から眺めても均整の取れた屋根を持つことから、古代中国の建築意匠に由来する構造名称として「四阿(しあ/あずまや)」の字が当てられました。文化的・風俗的なニュアンスから生まれた「東屋」と、屋根の形状を客観的に表現した「四阿」。二重の文化的ルーツを持つことこそが、あずまやの奥深い魅力といえます。