橋本マナミの芸能界入りは、1997年に開催された「第7回全日本国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞したことがきっかけでした。当時は本名で活動し、正統派の美少女アイドルとしての道を歩み始めましたが、芸能界の壁は厚く、10代から20代半ばにかけては思うように仕事に恵まれない下積み時代を経験しています。
風向きが大きく変わったのは、20代後半を迎えた頃です。事務所の移籍や芸名の変更を経て、自身の持ち味である「憂いを帯びた大人の色香」を前面に押し出す方針へと舵を切りました。露出の多さだけを狙うのではなく、昭和の銀幕女優を思わせるしっとりとした情緒を醸し出すグラビアを展開したことで、同世代のタレントとは一線を画すポジションを確立します。
みつだん(壇蜜)と共に巻き起こした大人グラビアブームの中で、彼女に名付けられた「国民の愛人」というフレーズは瞬く間に列島を席巻。テレビのバラエティ番組や情報番組に引っ張りだことなり、苦節10数年を経て遅咲きの大ブレイクを果たしました。