愛犬がマズル(鼻口部)に触れられた瞬間、牙を剥いて抵抗する姿にショックを受ける飼い主は少なくありません。しかし、動物行動学の観点から見れば、犬の歯磨きを嫌がる理由の第1位は「生存本能に直結する急所への脅威」です。犬にとって口元は獲物を捕らえ、身を守り、世界を認識するための最重要器官であり、無防備に触らせることは本来、極めて警戒すべき行為にあたります。
さらに、多くの家庭で無意識に行われている「後ろから抱きかかえて頭をガッチリ固定する」という保定の姿勢が、犬のパニックを助長しています。自由を奪われた状態で視界の外からプラスチックの棒を突っ込まれる恐怖は、人間で例えるなら拘束台の上で説明もなく治療器具を押し込まれる体験と変わりません。「一度でも痛い・怖い思いをした」という記憶は強固なトラウマとなり、道具を見るだけで条件反射的な防衛攻撃(唸る・噛む)を引き起こす引き金になります。
もう一つの見落とされがちな盲点が、すでに歯肉炎や歯根の痛みが存在しているケースです。歯ブラシの毛先が炎症を起こした歯肉に触れ、激痛が走ったことで触られるのを嫌悪している場合があります。嫌がり方が突発的であったり、特定の位置だけ極端に怒ったりする場合は、しつけの問題と決めつける前に口腔内の病変を疑う必要があります。