植芝盛平にまつわる武勇伝の中で、最も人々の好奇心を刺激するのが「銃弾を避けた」という伝説です。荒唐無稽な創作話として片付けられがちですが、このエピソードには複数の具体的証言と明確なシチュエーションが存在します。
最も有名な事例は、大正13年(1924年)に宗教家・出口王仁三郎と共に理想郷建設を目指して海を渡った「第一次満蒙入り」の際の出来事です。現地で馬賊や軍閥の奇襲に遭い、四方から激しい銃撃を受けた際、植芝は被弾することなく生還しました。自著や当時の関係者の回想録によると、植芝は後にこう述懐しています。
「敵が引き金を引く瞬間、光の小つぶのようなものが飛んでくる。その光の軌道をすっと外せば、弾は当たらない」
昭和初期、陸軍戸山学校の射撃教官たちを相手に行った公開実験でも、6人の射手が数メートル至近距離から一斉に構えた瞬間、植芝は射手の背後に回り込んで教官たちを呆然とさせた記録が残されています。現代の認知科学やスポーツ心理学の視点から分析すると、これは「弾丸を目で見て避けた」のではなく、「射手が引き金を引く直前の筋肉の緊張、視線の微動、殺気の初動(予備動作)を極限の集中力で察知し、発射前に射線から離脱していた」と説明できます。
また、晩年に見せた「相手が触れただけで勝手に吹き飛ぶ」「触れずに崩す」といった神業についても、直弟子たちの証言は極めて合理的です。合気道養神館の創始者である塩田剛三は自著『合気道人生』の中で、開祖の力について次のように証言しています。
「触れた瞬間に自分の中心を完全に制圧されているため、受け身を取らなければ首や関節が破壊されてしまう。外から見ると自分から飛んでいるように見えるが、実際はそうせざるを得ない絶対的な力が働いている」
神秘的に映る演武の裏側には、相手の力線を外し、反射的な防御反応を逆利用する精緻な身体操作が隠されていたのです。